機関誌『唯物論』(26号〜43号)目次

『唯物論』43号(1971年春)

「フォイエルバッハ・テーゼの理解について」高田求

「加藤正の見解について」杉田元宣

「理論の党派性と独立性ーー降旗節雄氏の『歴史と主体性』についてーー」畔上道雄

「論理学、弁証法および認識論の同一性に関する論争」仲本章夫

「疎外と疎外の止揚」岩淵慶一

 

『唯物論』42号(1970年春)

「マルクスにおける道徳理論 道徳概念の唯物論的規定の試み(上)」木下英夫

「マルクス主義と科学」モーリス・コンフォース(中村行秀訳)

「アメリカの哲学者とマルクス主義」ハワード・パースンズ(小阪国継訳)

「研究通信 論理回路網と発展の数理」杉田元宣

 

『唯物論』41号(1970年冬)

「マルクスの疎外概念」岩淵慶一

「カール・マルクスとマルクス主義哲学の将来」アルフレート・コージング(石井伸男訳)

「ベトナムの哲学者との連携をつよめよう」芝田進午

 

『唯物論』40号(1969年秋)

「有限と無限の弁証法ーーカントとヘーゲルの批判ーー」畔上道雄

「日本における科学的思想の形成」笠井忠

「『科学の諸問題』一九六九年第一号巻頭論文(訳)」仲本章夫

「マルクス主義哲学の現代的課題ーー『講座・マルクス主義哲学』刊行によせてーー」芝田進午

 

『唯物論』39号(1969年夏)

「社会構成体の理解をめぐってーー島田豊氏の見解を批判するーー」犬丸義一
「マルクス主義哲学と個人」岩淵慶一
「実践と矛盾」中本昌年
「ソビエトにおける社会心理学の現状ーー社会心理学の対象領域を中心にーー」村山祐一

 

『唯物論』38号(1969年春)

「ルチーリオ・ヴァニーニの記念に」古在由重
「永田広志と日本唯物論史の課題」芝田進午
「分析哲学との対決」秋間実

『唯物論』37号(1968年冬)

「実践とマルクス主義哲学ーーH・ザイデルの問題提起をめぐってーー」岩淵慶一
「法学の一潮流についてーー現代経験主義法学への疑問ーー」伊藤謹也
「加藤正と自然弁証法」杉田元宣
「ベトナムの哲学者たち」芝田進午

 

『唯物論』36号(1968年秋)

「生物学と唯物弁証法」伊藤嘉昭
「ヘーゲルにおける真理の現実的概念」許万元

 

『唯物論』35号(1968年5月)

「内的矛盾と外的矛盾の弁証法についてーーー一つの問題提起ー」瀬戸明
「反映論批判の批判」岩淵慶一

 

『唯物論』34号(1968年4月)

「ドイツ観念論受容のイデオロギー性」小牧治
「人間・個人・人民ーー仮説のための覚え書」湯川和夫
「疎外論の問題点と課題」三階徹
「明治百年論批判」犬丸義一
「正義の側に人類の結集を」バートランド・ラッセル

 

『唯物論』33号(1968年冬)

「朝鮮における主体性の思想と教育」矢川徳光
「マルクス主義哲学の新しい体系的叙述の試み」岩淵慶一
「ラッセル法定に出席して」芝田進午
「日本人民へのメッセージ」ファン・ゴック・タック

 

『唯物論』32号(1967年秋)

「「実践論」「矛盾論」についての断片」高田求
「矛盾律の近代論理学的解釈によせて」瀬戸明
「最近のブルジョア政治学とマルクス主義政治学」田口富久治
「サイバネティックスの示唆するもの」杉田元宣
「ベトナムでのアメリカの戦争犯罪調査報告」芝田進午

 

『唯物論』31号(1967年夏)

「認識論に関する一試論」瀬戸明

 

『唯物論』30号(1967年春)

「第二次大戦後のバートランド・ラッセル」湯川和夫
「江藤淳氏らの”期待される哲学像”」高田求
「創価学会・公明党の哲学的基礎」村上重良
「在日朝鮮人民族教育問題」矢川徳光

 

『唯物論』29号(1967年冬)

「「社会工学」の思想的性格 K・Kポパーを中心に」古川光
「産業社会学から産業社会論へ」芥川集一

 

『唯物論』28号(1966年秋)

「サルトル「存在と無」の批判」村上嘉隆
「方法主義の危険」北村実

 

『唯物論』27号(1966年5月)

「『ホモ』・ハビリスの話題」伊藤嘉昭
『哲学の諸問題』誌六六年一〜四号目次
『哲学研究』(中国学院哲学研究所)六六年一、二号目次

 

『唯物論』26号(1966年4月)

「日本唯物論研究会と「唯物論研究」ーー「日ソ哲学シンポジウム由来期」と「編集部からの一言」を読んで」湯川和夫
「「日韓条約」と思想の問題」金哲男
「弁証法における「矛盾」概念の検討」北村実
「ヴィゴトスキー『芸術心理学』」多和田栄治

 

参考資料・東京唯物論研究会機関誌目次

『唯物論』26号から59号の目次のファイルです。以下のリンクからダウンロードしてください。

 

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